代謝エピジェネティクスYCI Lab

個体を形成するすべての細胞の元となる受精卵は、精子と卵という二つの細胞から生じます。精子と卵はエピゲノムの状態がまったく異なりますが、受精後に大規模に再編成(リプログラミング)され、着床直前にはほぼ同一なものになります。ほぼ、というのは、このリプログラミングを免れて、配偶子から次世代に受け継がれるエピゲノムが一部存在するということです。インプリンティング制御領域のDNAメチル化は、そのようなリプログラミング抵抗性エピゲノムの代表格であり、これに異常が生じると、ゲノムは変異していなくても次世代に表現型があらわれます。我々は近年、卵のヒストン修飾の一部がリプログラミング抵抗性を示し、着床前胚と胎盤の片アレル性遺伝子発現を制御する「ヒストン型インプリンティング」を発見しました。このことは、DNAメチル化だけではなく、卵のヒストン修飾に異常が生じた場合でも、次世代の形質に影響を及ぼすことを意味しています。そこで当研究室では、主にマウスを用いて、卵のヒストン修飾によるエピゲノム遺伝の法則性とその機能の解明を目指して研究しています。さらに、代謝疾患などによる母体環境の変化により、卵のエピゲノムにどのような変異が生じるか、また、それがどのように次世代個体の機能低下を引き起こすか、などの疑問に挑戦しています。

キーワード: エピジェネティクス、インプリンティング、受精卵、着床前初期胚、胎盤、DOHaD

 
 

着床前初期胚

新しい命は受精から始まります。性質の全く異なる二つの細胞である精子と卵が融合して、受精卵ができます。受精卵は卵割を繰り返し、2細胞期胚、4細胞期胚、8-16細胞の桑実胚、32細胞以上の胚盤胞期胚となります。この発生過程は、卵管および子宮内において着床より前に行われるため、着床前初期発生と呼ばれます。研究モデルとして着床前胚の優れた点の一つは、容易に体外に取り出して培養することができて、胚を代理母に移植することで個体を誕生させられることです。このような実験系はex vivoと呼ばれ、生体内に近い条件で遺伝子操作などの実験的介入が容易に行えます。このような実践的なメリットに加えて、着床前胚では大規模なエピゲノムのリプログラミング(再編成)が起こるため、エピジェネティクスの制御機構と機能を理解する上で優れた実験材料です。

エピジェネティクス

さて、いまさらですがエピジェネティクス(=エピゲノム)とは何でしょうか。広がり続ける昨今のエピジェネティクス分野において、その定義は人それぞれですが、私は転写因子以外の遺伝子発現調節機構という何でもありの広い定義で理解しています。エピジェネティクスの分子実体はDNAシトシン残基の5’部位のメチル化修飾(DNAメチル化)やヒストンの翻訳後修飾(メチル化、アセチル化、ユビキチン化など)などで代表されます。これらがヌクレオソームに書き込まれることで、クロマチンが緩んだり閉じたりして、転写マシーナリーの結合を促進あるいは阻害します。よく用いられる好例が「付箋」です。分厚い本に相当するゲノムに対して、エピジェネティクスはどのページを読むかという付箋の役割を果たします(下図左)。ちなみに、さらにそのページのどの文を読むかというのが転写因子の役割と私は理解しています(下図右)(転写因子がエピジェネティクスの上流にあることもあります)。エピゲノムのパターン(付箋の位置)はそれぞれの細胞種に特有であるため、細胞種に特有の遺伝子発現プログラムが可能になります。より詳しく知りたい方は他のサイトをご覧ください。

 
 

エピゲノムリプログラミング

当然、精子と卵子のエピゲノムもまったく異なります。そのため受精後の着床前発生の過程でこれらのエピゲノムは消去されます(付箋を外す作業)。これはエピゲノムのリプログラミングと呼ばれ、着床後に細胞種特有のエピゲノムを新たに書き込むために必須の現象と考えられています。また、もともと互いにまったく異なっていた精子由来の父性アレルと卵子由来の母性アレルのエピゲノムをほぼ同一にするという意義もあります。父母のアレル間で異なる遺伝子発現がゲノムワイドに起こってしまったら大変ですしね。

 

リプログラミング抵抗性とゲノムインプリンティング

着床前胚におけるエピゲノムリプログラミングはゲノムワイドに起こりますが、実はそれを免れるゲノム領域も存在します。このようなリプログラミング抵抗性のある領域は父母アレルのエピゲノムが異なったままの状態で発生していくため、父母アレル特異的な遺伝子発現が起こります。このような片アレル性の発現をする遺伝子はインプリント遺伝子と呼ばれ、これまで100個ほど同定されています。インプリント遺伝子を制御するエピジェネティック修飾としては、これまでDNAのメチル化が知られていました。すなわち、精子と卵子で異なるDNAメチル化を示すゲノム領域の一部はなぜかリプログラミングを免れて、次世代の個体においてインプリント発現を引き起こすのです。ヒトにおいてインプリンティングの破綻は胚性致死や重篤な疾患を引き起こすため、インプリンティングの制御機構の理解は重要な課題です。

 

新しいインプリンティング機構

1991年に哺乳類のインプリント遺伝子が同定されて以降、配偶子のエピゲノムに存在するインプリントマークとして唯一知られていたのがDNAメチル化でした。しかし、卵子のDNAメチル化を無くしても父性アレル特異的発現を示すインプリント遺伝子が複数同定されており、DNAメチル化以外のインプリントマークが卵子に存在することが示唆されていました。配偶子のエピゲノム再編成機構を研究していた我々は、2017年に、このインプリントマークがヒストン修飾H3K27me3(ヒストンH3リジン27のトリメチル化)であることを発見しました(Inoue et al., 2017 Nature)。H3K27me3型インプリンティングは、X染色体不活性化に必須なXistを含む、過去にDNAメチル化に非依存的と報告されていた全てのインプリント遺伝子を制御していました(Inoue et al., 2017 Genes Dev)。不思議なことに、H3K27me3型インプリンティングは着床後には胎盤を含む胚体外の細胞系譜では一部維持される一方で、胚体組織では失われることがわかりました。なぜこのような細胞系列特異的な制御を受けるのか、まだ分かりません。その後、DNAメチル化依存型の典型的なインプリンティングを維持させたまま、H3K27me3型インプリンティングのみ破綻させたマウスを作成しました。その結果、着床後の胚発生が顕著に遅延し、うち半数、特に雄が胚性致死することが分かりました(Inoue et al., 2018 Genes Dev)。H3K27me3型インプリンティングの具体的な機能は何か、進化的に保存されているのか、哺乳類のエピゲノム遺伝機構への関与はあるのか、など、さらなる展開が待たれます。

今後の方向性

1. リプログラミング抵抗性を示す母性ヒストン修飾の同定とその機能解析

2. ヒストン型インプリンティングの機能と制御機構

3. 生活習慣病の母性エピゲノム遺伝機構の解明

 
 

特色ある研究ツール

一般的な分子生物学ツールの他に、当研究室では以下の3つの特徴的な研究ツールを用いています。これらを統合できる研究室は世界的にも稀であり、国際的に高い優位性を発揮できています。

 

1. 微量エピゲノム解析技術

微量DNaseI-seq (Lu et al., 2016 Cell; Inoue et al., 2017 Nature; Djekidel et al., 2018 Cell Rep)

微量ChIP-seq (Inoue et al., 2017 Genes Dev)

微量​CUT&RUN (Inoue et al., 2018 Genes Dev)

微量DNAメチローム解析(Shen et al., 2014 CSC, Inoue et al., 2015 Cell Rep

2. 顕微操作&生殖工学技術

mRNA/siRNA顕微注入、前核単離、前核置換、染色体置換、体細胞核移植、体外受精、体外成熟培養、体外成長培養、顕微授精、卵管/子宮胚移植、E6.5胚の3胚葉単離、など

3. 母性因子ノックダウンシステム

3-1. GV卵インジェクション

受精直後に起こるほとんどのイベントは卵に蓄えられたタンパク質(母性因子)で制御されています。そのため、このようなイベントのメカニズムや機能の研究には母性因子の機能欠損アプローチが必要です。その方法の一つに卵特異的ノックアウトマウスがありますが、作成に一年以上かかるのでスループットが上げられません。そこでRNA干渉(siRNAなど)を用いたノックダウンがよく用いられますが、ここに受精卵研究特有の難しさがあります。というのも、卵はその成長過程で多量のタンパク質を貯蓄しているため、siRNAをMII卵に顕微注入しても時すでに遅しで、受精までの短い時間で狙った遺伝子をタンパク質レベルでノックダウンできることは稀です。そこで我々はsiRNAをGV卵に顕微注入して、体外成熟の後に体外受精するアプローチを好んで使用しています。これによりsiRNA注入後GV卵の状態で最大24時間、体外成熟18時間で、最大合計42時間の猶予を受精前に与えることで、比較的安定なタンパク質でもノックダウンすることができます。この方法は過去に、Tet3やNfyaなどの母性因子に対して用いました(Inoue et al., 2012 Cell Res; Lu et al., 2016 Cell)。

3-2. 二次卵胞インジェクション

GV卵インジェクションを用いても、安定に存在する母性タンパク質はノックダウンできないことがしばしば起こります。この問題を解決するために、二次卵胞インジェクション法を用いています(Inoue et al., 2014 Protcol Ex)。この方法では、12日齢の雌マウスから二次卵胞を採取して、卵胞内の成長期卵にsiRNAを顕微注入します。この卵胞を12日間体外培養することで卵を成長させ、体外成熟、体外受精することで受精卵を得ます。siRNA注入から受精まで2週間の時間があるので、多くの母性因子はこの方法でノックダウンできます。siRNAが2週間も安定的に機能できるのは、卵が分裂しない細胞であるため、細胞分裂による希釈が起こらないことが一因だと考えています。この方法は過去に、NPM2やHIRAなどの安定な母性因子に対して用いました(Inoue and Aoki, 2010 FASEB J; Inoue and Zhang, 2014 NSMB)。

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E6.5 mouse embryo