世代をつなぐ 受精卵を科学する

生物は環境に応じて変化します。変化した表現型に選択がかかり、子孫に伝わることで、進化が起こります。表現型の情報を次世代に伝えるのが、卵や精子(配偶子)です。配偶子には、ゲノムと、その取扱説明書にあたるエピゲノムが含まれています。エピゲノムの一部も次世代に伝わることで、表現型に寄与します。このような世代を超えて伝承されるエピゲノムを「経世代エピゲノム」といいます。これまで哺乳類においては、DNAのメチル化修飾が経世代エピゲノムとして唯一知られていました。しかし、近年の我々の研究により、DNAを収納するヒストンというタンパク質への化学修飾(ヒストン修飾)も、卵から次世代に伝承されることがわかってきました。エピゲノムはゲノムと違い環境により変化しうるため、この第二の経世代エピゲノムの登場により、環境による卵のヒストン修飾の変化が次世代の表現型に影響し進化に寄与する、という新たな可能性が提示されました。そこで当研究室では、主にマウスを用いて、(1) 卵におけるエピゲノム確立機構と次世代への伝承機構、(2) 母性エピゲノム伝承の生物学的意義の解明、(3) 卵のエピゲノムを介した疾患素因の形成機構、などの研究を行っています。

キーワード: エピジェネティクス、ヒストン、インプリンティング、卵、着床前初期胚、胎盤

 

着床前初期胚

新しい命は受精から始まります。性質の全く異なる二つの細胞である精子と卵が融合して、受精卵ができます。受精卵は卵割を繰り返し、2細胞期胚、4細胞期胚、8-16細胞の桑実胚、32細胞以上の胚盤胞期胚となります。この発生過程は、卵管および子宮内において着床以前に起こるため、着床前発生と呼ばれます。研究モデルとして着床前胚の優れた点は、容易に体外に取り出して培養することができて、再び体内に戻すと個体を誕生させられることです。このようなex vivoの実験系により、生体内に限りなく近い生理的な条件において遺伝子操作などの実験的介入が容易に行えます。この実践的なメリットに加えて、着床前胚では大規模なエピゲノムのリプログラミング(初期化・再編成)が起こるため、エピジェネティクスの制御機構と機能を理解する上で優れた実験材料です。

エピジェネティクス

いまさらですがエピジェネティクス(=エピゲノム)とは何でしょうか。広がり続ける昨今のエピジェネティクス分野において、その定義は人それぞれですが、私はゲノム配列の変化を伴わない遺伝子発現調節機構という広い定義で理解しています。エピジェネティクスの分子実体は、DNAのシトシン残基のメチル化修飾(DNAメチル化)やヒストンの翻訳後修飾(メチル化、アセチル化、ユビキチン化、リン酸化、etc)などで代表されます。これらがヌクレオソームに書き込まれることで、クロマチンが緩んだり閉じたりして、転写マシーナリーのDNAへの結合を促進あるいは阻害します。よく用いられる好例が「付箋」です。分厚い本に相当するゲノムに対して、エピジェネティクスはどのページを読むかという付箋の役割を果たします(下図左)。ちなみに、さらにそのページのどの文を読むかというのが転写因子の役割と私は理解していますが(下図右)、転写因子がエピジェネティクスの上流にあることもあります。エピゲノムのパターン(付箋の位置)はそれぞれの細胞種に特有であるため、細胞種に特有の遺伝子発現プログラムが可能になります。より詳しく知りたい方は他のサイトをご覧ください。

 
 

エピゲノムリプログラミング

当然、精子と卵子のエピゲノムもまったく異なります。そのため受精後の着床前発生の過程でこれらのエピゲノムは消去されます(付箋を外す作業)。これはエピゲノムのリプログラミングと呼ばれ、着床後に細胞種特有のエピゲノムを新たに書き込むために必須の現象と考えられています。また、もともと互いにまったく異なっていた父母由来染色体(アレル)のエピゲノムをほぼ同一にするという意義もあります。父母の染色体間で異なる遺伝子発現がゲノムワイドに起こってしまったら大変ですしね。

 

リプログラミング抵抗性とゲノムインプリンティング

着床前胚におけるエピゲノムリプログラミングはゲノムワイドに起こりますが、実はそれを免れるゲノム領域も存在します。このようなリプログラミング抵抗性の領域は、父母アレルのエピゲノムが異なったままの状態で発生していくため、父性あるいは母性アレルに特異的な遺伝子発現が起こります。このような片親性の発現をする遺伝子は刷り込み遺伝子と呼ばれ、これまで100個ほど同定されています。ゲノム刷り込み(インプリンティング)を制御するのが、DNAのメチル化です。精子と卵子間で異なるDNAメチル化を示すゲノム領域の一部は、リプログラミングを免れて、次世代に伝承され、刷り込み発現を引き起こします。ヒトにおいて刷り込みの破綻は胚性致死や重篤な疾患を引き起こすため、インプリンティングの制御機構の理解は重要です。

リプログラミング耐性
 

新しいインプリンティング機構

1991年に哺乳類の刷り込み遺伝子が同定されて以降、配偶子から次世代に経世代伝承される修飾として唯一知られていたのがDNAメチル化でした。しかし、卵のDNAメチル化を無くしても父性アレル特異的発現を示す刷り込み遺伝子が複数同定されており、DNAメチル化以外の刷り込み修飾が卵に存在することが示唆されていました。受精卵におけるエピゲノムのリプログラミング機構を研究していた我々は、この刷り込み修飾がH3K27me3(ヒストンH3リジン27のトリメチル化)であることを発見しました(Inoue et al., 2017 Nature, Inoue et al., 2017 Genes Dev)。卵のH3K27me3は受精後に母性アレル特異的に維持されて、母性アレル由来の遺伝子発現を抑制することで、DNAメチル化非依存的な刷り込みを制御していました。「ヒストン型インプリンティング」あるいは「非典型インプリンティング」と名付けたこの刷り込み機構は、着床後には胎盤を含む胚体外の細胞系譜において、新規にDNAメチル化が確立されることで長期維持されます。このように、H3K27me3は第二の経世代エピゲノムとして位置付けられます。さらに我々は、ヒストン型インプリンティングの破綻は、着床後の胚発生の顕著な遅延と、約半数の胚の胎生致死、そして、出生に至った個体では胎盤が過形成することなどを見出しました(Inoue et al., 2018 Genes Dev, Mei et al., 2021 Nat Genet)。ヒストン型インプリンティングの具体的な機能は何か、なぜ細胞系列特異的なのか、なぜDNAメチル化ではなくヒストンで制御される必要があるのかなど、多くの未解決な疑問が残っています。

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最近の成果紹介(Nat Genet 2021)

  H3K27me3が卵の形成過程でどのように確立され、どのように次世代に伝承されるのかを調べるために、ES細胞等においてH3K27me3と相互作用するヒストンH2Aリジン119モノユビキチン化修飾(H2AK119ub1)に着目し、その役割を調べました。微量CUT&RUN法を用いて、卵成長過程と着床前発生過程でのH2AK119ub1の挙動を調べたところ、卵成長過程においてはH2AK119ub1とH3K27me3は広く共局在することが分かりました。一方で、受精後はこれらの修飾は異なる挙動を示し、典型的なポリコーム抑制複合体の標的である発生関連遺伝子群においては、H2AK119ub1がH3K27me3に先立って確立されることが分かりました。これは、生体内においてH2AK119ub1がH3K27me3をガイドする様子を捉えた初めての報告です。

    続いて卵形成過程においてH2AK119ub1がH3K27me3の確立に必要かどうかを調べるために、異型ポリコーム抑制複合体1 (PRC1)の必須構成因子であるpolycomb group ring finger 1 (PCGF1)とPCGF6を欠損させた卵を作成しました。異型PRC1欠損卵ではH2AK119ub1はゲノムワイドに減少し、約2,000個の遺伝子においてH3K27me3の確立不全が起こりました。野生型の精子と受精させて得られた異型PRC1母方欠損胚のH3K27me3の分布を詳細に調べたところ、卵においてH3K27me3を確立できなかった遺伝子群は、受精後もH3K27me3が欠落したままの状態で発生することが分かりました(下図A)。そして着床後に、非典型刷り込み(ヒストン型インプリンティング)の破綻(下図B)、着床後の胎生部分致死、および、出生に至った個体において胎盤が過形成することなどを見出しました(下図C)。つまり、卵形成過程でH3K27me3の刷り込みに失敗すると、その後にH3K27me3修飾酵素が存在していても、もはや取り返しが付かないのです。そして、胎盤過形成という表現型は、母が卵のヒストン修飾を介して胎盤のサイズを抑制すると解釈することができますが、これはヒストン型インプリンティングが「綱引き仮説(インプリンティングの進化理論の一つで、コンフリクト仮説とも呼ばれる)」を支持することを意味します。このように、ポリコーム分子生物学とゲノム刷り込みの面白さが濃縮した論文となりました。

 
Nat Genet 2021サマリー
 

今後の方向性

1. 卵におけるエピゲノム確立機構と次世代への伝承機構

2. ヒストン型インプリンティングの機能

3. 生活習慣病の母性エピゲノム遺伝機構

 

特色ある研究手法

一般的な分子生物学・遺伝学ツールの他に、当研究室では以下の3つの特徴的な研究手法を用いています。これらを統合できる研究室は世界的にも稀であり、国際的に高い優位性を発揮できています。

 

1. 微量エピゲノム解析技術

微量DNaseI-seq (Lu et al., 2016 Cell; Inoue et al., 2017 Nature; Djekidel et al., 2018 Cell Rep)

微量ChIP-seq (Inoue et al., 2017 Genes Dev)

微量​CUT&RUN (Inoue et al., 2018 Genes Dev, Mei et al., 2021 Nat Genet)

微量DNAメチローム解析(Shen et al., 2014 CSC, Inoue et al., 2015 Cell Rep

2. 顕微操作&生殖工学技術

mRNA/siRNA顕微注入、前核単離、前核置換、染色体置換、体細胞核移植、体外受精、体外成熟培養、体外成長培養、顕微授精、卵管胚移植、子宮胚移植、E6.5胚の3胚葉単離、など

3. 母性因子ノックダウンシステム

3-1. GV卵インジェクション→体外成熟→体外受精

受精前後に起こるほとんどのイベントは卵に蓄えられたタンパク質(母性因子)で制御されています。そのため、この時期の現象のメカニズムや機能の研究には母性因子の機能欠損アプローチが必要です。その方法の一つに卵特異的ノックアウトマウスがありますが、作成に長期間かかりコストも非常に高いのでスループットが上げられません。そこでRNA干渉(siRNAなど)を用いたノックダウンがよく用いられますが、ここに受精卵研究特有の難しさがあります。というのも、卵はその成長過程で多量のタンパク質を貯蓄しているため、siRNAをMII卵に顕微注入しても「時すでに遅し」で、受精までの短時間でターゲット遺伝子をタンパク質レベルでノックダウンできることは稀です。そこで我々は、siRNAをGV卵に顕微注入し、体外成熟の後に体外受精するアプローチを使用しています。これによりsiRNA注入後にGV期を最大24時間維持させ、その後の18時間の体外成熟を合わせて、合計最大42時間の猶予を受精前に与えることで、比較的安定なタンパク質でもノックダウンすることができます。この方法は過去に、Tet3やNfyaなどの母性因子に対して用いました(Inoue et al., 2012 Cell Res; Lu et al., 2016 Cell)。

3-2. 二次卵胞インジェクション

GV卵インジェクションを用いても、比較的安定な母性タンパク質はノックダウンできないことがしばしばあります。この問題を解決するために、二次卵胞インジェクション法を用いています(Inoue et al., 2014 Protcol Ex)。この方法では、12日齢の雌マウスから二次卵胞を採取して、卵胞内の成長期卵にsiRNAを顕微注入します。この卵胞を12日間体外培養することで卵を成長させ、体外成熟、体外受精することで受精卵を得ます。siRNA注入から受精まで2週間もの時間を与えられるので、多くの母性因子はこの方法でノックダウンできます。siRNAが2週間も安定的に機能できるのは、卵が非分裂細胞であるため細胞分裂による希釈が起こらないことが一因だと思います。この方法は過去に、NPM2やHIRAなどの安定な母性因子に対して用いました(Inoue and Aoki, 2010 FASEB J; Inoue and Zhang, 2014 NSMB)。